マイナビ

トレンドnavitrend navi

“みんな違って、みんないい”の先にある大きな可能性

株式会社フクフクプラス 代表 磯村歩

美術館でアートを鑑賞するとき、感想を言うのを躊躇ってしまうことがある。こんなことを言ったら見当違いと思われるんじゃないだろうか。作者の意図も知らずに、下手なことを言ったらいけなのではないか。そんな気後れを乗り越えて、アートを鑑賞することで脳を活性化したり問題解決能力を高めたりするプログラム「対話型アート鑑賞」。それを研修プログラムとして企業に提案している株式会社フクフクプラスの磯村歩氏にお話を伺った。

正解がない「対話型アート鑑賞」で脳を活性化

「対話型アート鑑賞」というものが始められたのは、ニューヨークの有名な美術館MoMA。美術鑑賞というと、まず作家名を見て、作品が生まれた背景やテーマなどを知って鑑賞するというのが普通のパターン。しかし、それでは情報がフィルターになって、素直にアートに向き合うことができない。そんな美術鑑賞への問題提起としてMoMAでは、事前情報なしに複数の人で対話しながら美術を鑑賞しようという動きが1980年代に生まれたのだという。

「たとえば、ゴッホだって生前は1枚しか絵が売れませんでした。つまり時代が変われば人も変わり、アートの価値も変わっていくんです。だから、みんな好きにアートに対して良いとか悪いとか言っていいし、どういう風に感じてもいい。でも、そういうことは現在の教育環境ではあまりないですよね? 正解をアウトプットできるかで評価されるから。でも『対話型アート鑑賞』では、何を言ってもいいし、どんな感想でも『いいね』と言われるから、参加者は自己肯定感を高められるんです」

「対話型アート鑑賞」で脳が活性化したり、思考力が高められたりすると言われてもにわかには信じがたい。実際にはどんなことが行われるのだろうか。

「まず1枚の絵を見ます。これにタイトルをつけてくださいと言う。でも、最初はなかなか思いつかなくて、とりあえず『ヨーロッパの風景』というような答えが出ます。それから、絵の中にいる人、建物、人と人の関係、その絵には素材として何が使われているのか、そこから感じられる匂い、音などについて対話していきます。よく見ると山の向こうに、光がチラチラと見えるようだとか、暖かい雰囲気がするだとか観察していって、最後にまたタイトルについて尋ねると、今度は『夏の日の花火の兆し』という答えが。明らかに変化がありますよね。観察によってタイトルに奥行きが生まれました」

プログラムはテーマにもよるが1回1時間~1時間半程度。たとえば、企業の新人研修向けのプログラムの場合、アートを題材に自己紹介をやってみる。すると、メンバーはお互いの人となりがわかって、コミュニケーションが活性化したことがあるそうだ。また、アートを見て話すことでストレス発散にもなるということが注目され、最近は産業保健師が企業の社員のメンタルケアのために、アート鑑賞を取り入れるケースも増えているのだという。

D&Iの理解にも活かされるアートとは?

近頃盛んに取り沙汰される「D&I」という言葉。いろいろな人の個性(多様性=diversity)を尊重し、受け入れ(受容=inclusion)活かすことによって企業や個人を成長させていこうとする考え方だが、フクフクプラスではそのダイバーシティ研修にもアート鑑賞を取り入れる提案をしている。

「対話型アート鑑賞のプログラムは、基本的には参加者がどこかに集まってアートを目の前にしながら行うんですが、このコロナ禍の自粛生活でそれもなかなか難しい。以前からもっと気軽に体験できる場を作りたいと思っていたところでもあったので、オンラインで対話型アート鑑賞を行える、ダイバーシティ研修のオンラインプログラムを作りました」

ダイバーシティというと、真っ先に注目される障がいのある人、そしてジェンダーの観点ではLGBTなどさまざまな人に目を向ける必要がある。その点でもオンラインならば多種多様な人とネットを通じてつながり、話を聞くことができるので、より深い対話ができるというのだ。

「対話型アート鑑賞で学力を向上させたり、思考力、発想力を鍛えたりするには、ある程度時間がかかります。でも1回、1時間ぐらいでも効果が出るのは《みんな違って、みんないい!》というD&Iの思考を身につけること。アート鑑賞を通じて、多様な価値観があることに気づき、自分のいる会社ではどんな風に活かしていけば良いか、その第一歩をまず考えてみる。障がいがあるということを新たな価値にするにはどうしたらいいか。さらにD&Iが実現した会社でどんなことができるか妄想してみようというのが、この新しいオンラインでの対話型アート鑑賞です」

ところで、フクフクプラスの手がける「対話型アート鑑賞」にはその効果を格段にアップする大事なポイント、秘密兵器とも言うべきものがある。それは、みんなで鑑賞するアートが障がいのある人の手によって作成されたものだということ。

「極端ですが、モナリザを例に取ればわかると思います。誰がみてもどういう絵かわかりますよね。これは何年に誰々が描いた絵で…と説明をし始めたら、もうそこで対話が成立しなくなってしまいます。でも、障がいのある人の描いた絵は、参加者みんなが“はじめまして”のアートなので、自由に発言できるんです。それに柔らかな色調のものが多く、ダンボールの上にマジックで描かれたものがあるなど、素朴で純粋、無垢な感じがしてみんなすーっとその中に入っていける。だから対話型アート鑑賞には欠かせないものなんです」

磯村さんが対話型アート鑑賞の題材に障がいのある方のアートを取り上げたのは、どちらかと言えば、「なんとかしてそれを使いたい」という思いからだったそうだが、プログラムの回を重ねるうちに、これは障がい者アートじゃなければできないものだという確信に変わっていったのだという。

「知的障がいのある方の場合などは、本人もなぜこのような絵を描いたのかわからないというケースも多いんです。つまり、そもそも“答え”なんかないということですから鑑賞者は答えを見つけなくて良い。自由に鑑賞できるということなんですよ」

本当に幸せ、その答えは自分の中にある

磯村さんが障がいのある人のアートに目をつけることになったのは、実は前職での経験がきっかけだった。金沢美術工芸大学を卒業後、富士フイルムに入社してプロダクトデザインを担当。ユニバーサルデザインについて調べているときに、視覚に障がいがある人があの有名なレンズ付きフィルム「写ルンです」を使っていることを知る。

「その方は旅行で、同行者にあっちの景色が良いよと言われた方向に向けてガシャッとシャッターを切るのだそうです。そして撮った写真を家族に見せるのを楽しみにしているということなんですが、写ルンですじゃないとそれができないのだと言う。シャッターボタンは触ればすぐにわかるし、押すとガシャッと音がする。フラッシュはオンにすると本体からフラッシュの突起が飛び出すし、フィルムがなくなればそれ以上レバーが動かなくなるのですぐにわかる。しかも、オートフォーカスの機能がないかわりに、レンズだけで手前から奥の方まで、ある程度ピントが合うようになっているので、目が見えなくてもピンボケな写真にはならない。なるほどと思いました」

目に障がいのある人のことを考えて開発した商品ではないのに、結果的には障がいがあっても使えるカメラになっていた。福祉云々ではなく、デザイナーとして何をしたらいいのかを教えられたと、磯村さんはそのとき思ったのだそうだ。障がいのある人に何かできないかと思っていたら、逆にこういう方向性に進むといいと背中を押されたということだろうか。

それから、プライベートなどで福祉団体などに関わることが多くなり、福祉に対する興味が募っていった。そして、本格的に福祉を学びたいと富士フイルムを退社。世界一幸せな国と言われている福祉先進国・デンマークに留学を果たす。

「デンマークでは、高校を卒業して進路を決めるまでにモラトリアムの期間が1年ぐらいあります。その時に通うホイスコーレンという国民学校とも言うべきものに半年通い、そのあと0歳から80歳まで160人ほどが共同生活しているエコビレッジに1ヵ月。それから世界各国から留学生が集まって国際紛争について話し合うインターナショナルスクールに5ヵ月ぐらい。合計1年間ほど、さまざまなダイバーシティを学んで帰って来ました」

デンマーク人は、生涯に5、6回転職するのだという。エンジニアがアーティストになったり、学校の教師がアパレルの商品企画部門に就職したり、職種も一貫していない。しかも、会社をやめても長期に亘り、前職の給与の90%の失業保険(但し上限あり)が出るのだという。だから安心して職業をかえることができる。さすが福祉国家だと言えるが、帰国の際に日本に帰りたくないとは思わなかったのだろうか。

「デンマーク人に言ったんですよ、デンマークは素晴らしい。それに比べて日本は…と。そうしたら、何を言ってるんだ、俺が持っているのは日本製カメラだし、寿司、天ぷらなど日本の食文化はとても素晴らしい。介護技術だって日本から講師を招いて学んでいるぐらいだと羨ましがられたんです。つまり、それはいわゆる“青い鳥症候群”。人は遠くのものに憧れがちだけれども、実は本当の幸せは自分の中にある。これだって《みんな違って、みんないい》ということですよね。障がいのあるなしにかかわらず、お互いの違いを認め合い、誰もが自分の可能性を発揮できる社会を目指したい。そのひとつのアプローチとして、障がいのある人のアートの力をデザインの力で、みんなの力に変えようと、フクフクプラスという会社を共同で設立しました」

フォントやイラストが渋谷区のお土産に!?

磯村さんの出発はプロダクトデザインだった。だから「デザイン」は大きな武器になっている。それを活かした取り組みのひとつに「シブヤフォント」がある。渋谷で暮らし・働く障がいのある人の描いた文字や絵柄を、渋谷で学ぶ学生がフォントやパターンとしてデザインしたパブリックデータだ。商業利用に関しては使用料が発生するが、個人の使用に関しては基本的にフリー。渋谷を象徴するモチーフがあしらわれたイラストや文字が、ポップにデザインされた魅力的なアートだ。

「シブヤフォントは、区長が“渋谷区のお土産を作りたい”と声を上げたところから始まりました。それに答えたのが区の障がい者福祉課で、障がいのある人たちが生活のために手がける作業の工賃を上げたい、地域と連携したものづくりをしたいという思いがあったんです。いろんなご縁で、私が講師として教えるデザイン学校の学生たちにアイデアを募ったところ、ある学生から文字を扱ってみたいという意見が出ました。そこで、区内の施設に通う障がいのある方に文字やイラストを描いてもらい、選考会で選ばれたものでフォントが作られ、さまざまな製品が生み出されました」

おしゃれなタンブラーやTシャツ、バッグなどシブヤフォントを利用した製品は、その原型を生み出したのが障がいのある人であろうがなんだろうが、関係なく素敵だ。思わず手に取りたくなる魅力にあふれている。

「シブヤフォントはまちづくりといった側面もあるんです。まちづくりというとご当地キャラなどのアイデアが出てきますが、使用する際の決まりごとなどが厳密に決められていて、その結果あまり使われなくなっていくことも多い。自分事になりにくいんですよ。でも、フォントはそもそも使っていただく方が自由に並べ替え、加工する素材です。利用における敷居がとても低いんです。デジタルデータだから、みんなで使い合おうというような動きも生まれて、地域にどんどん広がっていくんですよ」

《みんな違って、みんな良い》を実感する磯村氏はD&Iをまさに体現する事業を手がけられているが、今後この流れはどうなっていくと考えているのだろうか。

「今はまだ、必要ではあるけれども喫緊の課題ではないというのが大方の見解ではないでしょうか。でも、少子高齢化に人手不足と、いろいろな人が多様な形で働けるようにしないと企業は存続していけないことは明らかです。もうすでに、リモートワークなど多様な働き方への模索は大きな潮流です。確実にD&Iの重要性は高まっていくし、重要な経営課題になっていくでしょう。《みんな違って、みんないい》は、これからの時代には絶対に必要なステップです」

 

磯村氏は、フクフクプラスの代表のかたわら、専門学校の講師を務めるなど若い人と接する機会も多い。自分のやりたいことが見つからないと悩む学生には、「揺れることを恐れずに、常に自分に問いかけていくこと」を勧めるそうだ。デンマークでは5回転職することが普通だと聞けば、確かに目標はひとつと決める必要はないのかもしれない。アートのように感じ方は人の数だけある。正解はないのだから。

【取材・文:定家励子(株式会社imago)】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事
新着記事

トレンドnaviトップへ