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生産性向上、人材確保、イノベーション、デジタルシフトなどなど、多数の課題を抱える日本の企業をコロナ禍が襲った。解決への道筋もなかなか見えない中、自分はどうしたら良いのか、モヤモヤとした思いを抱えている人は多いのではないか。作家でありワークスタイル&組織開発専門家の沢渡あまね氏は、前向きに自分の働き方を考えたい人たちに“越境”を勧める。沢渡氏が提言する新時代を生き抜くための「越境思考」、身に着けておきたいスキルについて伺った。
テレワークが一気に進むなど、コロナ禍は私たちの働き方に少なからず変化をもたらした。一方で、変われない、変わってもまた元に戻ってしまう組織もある。今、日本の職場はどのような状況になっているのだろうか。
「思考停止している組織と、そうでない組織とで大きく2極化していると感じます。というのも日本は過去の5、60年間にわたって大量生産、大量消費型の製造業に代表されるような固定的な働き方、同質性の高い人たちが同じ行動をする働き方に最適化し過ぎてしまいました。ところが今、世の中を見回してみると、従来のやり方ではうまくいかないことがわかってきました。Covid-19のまん延が大きなきっかけとなり、今までの働き方、生き方、暮らし方が、もはや未来を生きる私たちにとって幸せな選択肢ではないかもしれないと一部の組織や人々が気づき始めました。その結果、これまでのやり方に留まって変わりたくない人と、新たな“勝ちパターン”にシフトする人の2極化が起きて、世の中にモヤモヤと顕在化している。ビジネスの回し方や組織のマネジメントの仕方が変化する過渡期にあると私は認識しています」
日本は先進国の中でも労働生産性が低く、平均年収は20年前からほぼ横ばいと言われ、変革の必要性は数字でも明らかになっているのにもかかわらず、沢渡氏が言うように変われない人、組織があるのはなぜなのだろうか。
「過去の“勝ちパターン”にしがみつきたい人たちの引力や筋力が強すぎるからのひと言ですね。組織でも地域社会でも、過去の成功を積み上げた人が時間をかけて権限を与えられ、発言権が増していって自分の島を作るというやり方が最適化してしまった。人材が流動しないので、上の地位に固定化された発言権を持つ重鎮に新しい考えが潰されてしまいます。残念ながら賞味期限ぎれとなってしまった今までの組織・文化にさようならをして、新しいものを生み出すやり方に変えていかないと、このままでは社会全体の景色が固定化し、停滞から衰退への道をまっしぐらに進んでしまうことを私は強く懸念しています」
自分の意見、思いついたアイデアなどを口にしたが否定されることが続き、果てには非難され、そのうちに発言しにくい空気がまん延して誰もが何も言わなくなる……。そんな経験は身に覚えがある人もいるのではないか。思考停止と諦めが、さらなる停滞を生む。まさに負のスパイラルだ。
「停滞している組織、世の中を変えていくには、まず正しく声を上げることです。ITなどを活用しながら会社などの組織を越えて、自分に共感してくれる人を見つけていく。垣根を越えて共感者と繋がっていけば、小さな世論のうねりを起こすことができます。この取り組みを私は“越境”と言っているんですが、間違いなくこれからの時代の変革のエネルギーになるでしょう」
コロナ禍で急速に進んだテレワークは、沢渡氏の言う“越境”のハードルを下げたと言えるだろう。もちろんコロナ禍前でも組織や地域を越えて人と繋がることは物理的には可能であったが、必要に迫られなければ敢えて垣根を越えてコンタクトを取ろうとはしなかったのではないだろうか。
「一個人がいきなり政府を動かすとか、大企業の組織構造を変えるというのはかなりハードルが高いですよね。一方で日々生活している場所、一緒に仕事をするチームといった半径5m以内の問題・課題なら、これはおかしいんじゃないか、ここは変えたいと声を上げることは誰でもできるのではないでしょうか。その声に共感する人が組織の中で見つかればベストですが、いなければ部署を越えて、会社を越えて、業界を越えてあなたの声に共感する人、すなわちファンが見つかり、小さな成功体験を積み重ねていきます。最初は小さくても、やがて大きなうねりとなって組織、社会を変えていくこともできるんです。私はそれを後押しし続けています」
その“うねり”は、私たちがこの2年間、すでに経験していることだと沢渡氏は言う。2020年、緊急事態宣言が発出され、多くの企業がテレワークを導入した。しかし、たとえば書類をプリントするため、書類に捺印するため、郵送物を受け取るために出社するケースがしましば見られるようになる。おかしいのではないかと声が上がり、紙のやりとりや捺印のプロセスをなくそうというムーブメントが起きた。違和感を諦める必要はない。越境すればいいのだ。越境はもはや世の中のソリューション、必須のスキルなのだと沢渡氏は語る。
「越境とは、組織、肩書き、場所、時間を越えて自由になることです。わかりやすく説明すると、フィンテックという言葉がありますよね。金融(Finance)とIT(Information Technology)をかけ算する造語です。金融業界が、これからは金融の常識だけでは勝てないと考え、業界を越境してIT関係の人材とディスカッションしたり、ITの技術を取り入れたりして新しい“勝ちパターン”を模索していく。ほかに農業(Agriculture)とITを掛け合わせたアグリテックなどという言葉もありますが、このようにさまざまな垣根を越えていくことにより、日本の組織の倦怠感と停滞感に風穴を開ける方法の1つが越境なのです」
越境には、私たちの思考の“筋力”を鍛える効果もある。今までの常識が通じない他者と交わるには、自分は何者か、自分はどういう課題を抱えていて何を目指しているのかを説明する必要がある。その過程で、自分で問いを立て他者とコラボレーションしながら主体的に答えを出していくトレーニングができるのだ。
越境は、モヤモヤとした閉塞感を抱えている人、周囲がなかなか動いてくれないといった不満を抱える人に大きな希望を与える方法であるような気がする。デメリットとして語られる「飽きっぽい」という性格も、越境にはむしろ向いているのだそうだ。
「私もそうですが、ずっと同じところにいると飽きてしまう人がいます。では、今やっている仕事に飽きたからといって、どんどん転職するかというとそうではありません。転職するのは体力が必要ですから面倒くさいですよね。しかし、同じ組織にいながら、越境して副業でエキサイティングな仕事をすることができれば、自分の力を認め副業を許してくれる組織に対するエンゲージメント(愛着心、思い入れ)も高まります。そういう意味で越境は、ビジネスパーソンとして持続可能な自分を作る大きな武器にもなります」
越境には3つのハイブリッドを乗りこなすことだという。
1.場所のハイブリッド(場所にとらわれず成果を出すこと)
2.顔のハイブリッド(ひとつの組織にコミットするのではなく複数の顔を持つこと)
3.業種・職種のハイブリッド(業界や職種を越境することで新たな価値を生み出すこと)
この3つめの例が先に説明されたフィンテックやアグリテックだ。
コロナ禍を持ち出すまでもなく、時代の変化に遅れないためにはこの越境の能力が必須であるのは間違いないようだ。しかし一方で越境することができない、許されない、変われない組織もある。
「私が今まで向き合ってきた組織の中で、変革できない、上手く行かない要因の1つが対話をしないことなんです。たとえば組織を変革するチームがあるとすると、その担当者が現場や経営者と対話をしない。その逆もまたしかりで、みなさん対話することを面倒に思ったり怖れたりしています。しかし、対話をしないと相手の問題意識や課題感は理解できませんし、お互いにわかり合えません。最近、DXを進めるという文脈でリスキリング(新しいスキルを学ぶこと)という言葉がよく聞かれますが、プログラミングスキルより、対話やディスカッション、コミュニケーションといった汎用的なスキルやマインドをリスキリングした方がいいというのが、私の警告です」
コロナ禍で急速に進んだテレワークにまつわるさまざまな問題を、どうしたら解決できるのかについて沢渡氏が提言する著書『どこでも成果を出す技術』(技術評論社)には、必要な8つのスキルが体系的にまとめられている
1.ロジカルコミュニケーション(論理的に体系立てて物事を説明する)
2.セルフマネジメント(自分を律する力)
3.ヘルプシーキング(一人で抱え込まずまわりに助けを求めながら仕事に取り組む行動)
4.クリティカルシンキング(感情や主観にとらわれず、問題や課題を正しく判断する力)
5.チームビルディング(メンバーが思いを共有し、同じ目標に向かって突き進めるようにすること)
6.プロジェクトマネジメント(プロジェクトを完遂するために行われる活動全般)
7.ファシリテーション(物事がうまく運ぶよう調整しながらゴールに向けて先に進める力)
8.ITスキル/リテラシー
1~3はすべてのビジネスパーソンに、4~7はとりわけマネージャーやリーダークラスの人に持っていてほしいスキル。8はすべてのひとが身に着けておきたいベーシックなスキルだそうだ。
「対話やディスカッションの局面においては、目の前の問題・課題にフォーカスしながら、何が問題か課題かを言語化して、立場の違う人を責めるのではなくて、共感を得ていくことが大事です。クリティカルシンキングやロジカルコミュニケーションのスキルが役に立ちます。ただ、この8つのスキルに共通しているのは、正しく他人に任せるスキルだとも思うんです。自分にプログラミングスキルがないなら、それを持っている人に任せれば良い。領域が異なる人と対話できなかったり、同じ景色を描くことができなかったり、果ては悪気無く下請け扱いするから物事が上手く行かなくなってしまうことが問題だと思います」
沢渡氏自身、大学卒業後大手メーカーに就職し、違和感を覚えることが少なくなかったという。しかし、過去50年、60年続けられてきた仕事の仕方を決して否定しているわけではない。今となっては賞味期限切れを迎え“負けパターン”となった部分を正しく認識しながら、変えるべきところは変え、新しい旨みを求める旅に出ましょうというメッセージを発している。
「私は最近“景色を変えれば、組織は変わる”とよく言っています。人のマインドや考え方を変えるのは容易ではありません。しかし、ITを使った新しいやり方を体験したり、それまで話したことがなかったような人と対話することによって、違和感に気づいたり、自己肯定感が高まったりして、新しいことに前向きになり変化が怖くなくなる人は一定数いるんです。日本の組織においては、自分からバリバリ変革していくより、何かのきっかけで変わる人の方が多いのかも知れません。だからこそ、自分の半径5m以内から景色を変えるきっかけを作っていってほしいと思います」
(まとめ)
沢渡氏は「景色を変える」や「越境」など、一見ビジネスとは結びつかないような概念を使ってよりよい、より幸せな働き方を提言している。「社会を変える」、「組織を変革する」と言われると思わず及び腰になってしまうが、半径5m以内からなら、自分でもできそうと思う人も多いのではないだろうか。この提言が力を与えるのはビジネスだけに限らない。氏の言葉に背中を押され、越境して繋がる人が一人でも増えることを望んでやまない。
【取材・文:定家励子(株式会社imago)】