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道がなければブルドーザーのように道を切り開き 耕うん機となって新しい社会の土壌を耕したい

パラリンピアン マセソン美季

多くの企業が人材活用への取り組みの柱として掲げる“D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)”。人材不足の解消、多様な人材を雇用することによるイノベーションの創出などの観点から、重要性が増している。一方で、どのように進めたら良いかわからないという声もある。そんなD&Iへの道を模索している企業から相談が増えていると語るのが、パラリンピアンのマセソン美季氏だ。出身である日本、そして家族と暮らすカナダに加え、イギリスやアメリカをはじめとする海外での仕事も増えてきたというマセソン氏に日本でのD&I推進の課題などについて、海外との比較もまじえて伺った。

大事なのは、インクルーシブな社会への歩みを止めないこと

マセソン美季氏は、大学一年生の時、交通事故で脊髄を損傷し車椅子生活となった。その後パラスポーツの一種、アイススレッジスピードレース(氷上でそりに乗り座位で行われるスピードスケート競技)に挑戦。1998年の長野パラリンピックに出場し、3つの金、1つの銀と計4つのメダルを獲得した輝かしい実績の持ち主だ。それから20数年後、再び日本でパラリンピックが開催されたことには、感慨もひとしおだったのではないだろうか。

メダルを獲得し、満面の笑みのマセソン美季氏

 

「1年延期になったとは言え、東京で開催できたのは嬉しかったですね。でも、観客席に人がいないのは本当に心残りでした。海外からも多様な人たちが日本に来られてさまざまなことを経験してもらえれば、日本人自身気づかなかったようなことが発信されたはずなのに、そういう機会を失ってしまったのは残念に思います」

大会前には、パラアスリートに関する報道も多くD&I、特に障がいのある人との共生を進める上で、パラリンピックの開催は日本社会にとって大きな一歩になるかと思われたが、実際はどうなのだろうか。

「パラリンピック開催をきっかけに、みんなでD&Iを推進していきましょうという空気は醸成されましたし、インクルーシブな社会を作ろうという活動があちこちに生まれてきているというのは素晴らしいですね。一方でパラリンピックを開催すれば共生社会が実現できるとか、パラアスリートと一緒にスポーツを体験すれば共生社会だよね。と、都合の良い勘違いも散見されたように思います。共生社会がそんなに簡単に実現できるんだったら、体育の授業で車椅子バスケットボールをすればいいんじゃない?という話ですから(笑)。インクルーシブな社会を作るには、どんな気づきがなければいけないのか、どんな配慮が必要で何が過度な対応かなどがわかっていないと、いつまでたっても共生社会には近づけません。そして、大事なのは、この歩みを止めないこと。どうしたら目標に近づけるか常に問い続けながら、小さくてもいいのでアクションを起こすことじゃないでしょうか。失敗したっていいんです。失敗した方が伸びしろは増えるし、動き続けて力をつける方が良いと私は思います

多様性の理解は、当たり前のコミュニケーションから

世界中を飛び回っているマセソン氏だが、日本に帰ってくると自分は“この国では障がい者”であることを思い出すのだそうだ。

「日本では、例えば車椅子で入れる入り口や動線が一般のお客さんと違うケースがありますし、誰かの手を借りるのが前提で作られた物や施設、サービスも少なくありません。私が一般の人と区別され、無機質な対応を受ける姿を見ていた息子に“お母さんは、日本では荷物みたいだね”と言われたんです。もっと普通にしてくれていいのに、まるで腫れ物に触るような気遣いをされるかと思えば、全くの無関心の時もある。街に出てちょっと困っていると、助けてくれるのは外国の方が圧倒的に多いです。助けたいと思っていても障がいのある人にどう接すればいいか分からない人もいるでしょう。わからないなら当たり前のコミュニケーションとして、聞いてくれていいのになと思います。

日本の大学を卒業後、米国イリノイ州立大学に留学。障がい者スポーツ指導について学んだ

 

マセソン氏は車椅子生活になる前、教師になるのが夢で、そのための勉強ができる大学に進学した。車椅子で復学して教員研修などもこなし、教員免許を取得したが、夢を諦めることにした。車椅子に乗っている人は教師にはなれないという、暗黙の了解に阻まれたという。自分はこれからどうやって生きていけばいいのか。パラスポーツをするようになり、国際大会に出て同じように車椅子に乗っている人に出会う度に、仕事は何をしているのかと聞きまくったそうだ。すると、ある人は体育の先生、ある人はホテルのオーナー、弁護士や航空管制官など、ありとあらゆる仕事をしている人が海外にはいたという。

「カナダに渡ったのは今から20年前ぐらいなんですが、周囲の人に“私は先生になりたかったんだけど、事故に遭ってしまったから諦めたんだ”と言うと、みんなぽかーんとした顔をするんです。“なぜ?美季は目も見えてるし、喋れるじゃない?英語だって話せるし、どうして?”と言われて、この人たちには違う価値観があるんだと思いました。周りの人の意識や環境が変われば、自分の可能性も広がるんだと実感したのをよく覚えています」

日本では、普段障がいのある人に出会う機会が少ない。だから、ひとたび障がいのある人を目の前にするとどうしていいかわからなくなるという側面はあるのかもしれない。それは、日本で1979年から2013年まで法律で認められていた分離教育のせいではないかとマセソン氏は言う。

講演活動も積極的に行っている(SDGsアクションフォーラムにて)

 

「先日仕事で行ったイタリアでは、誰でも住んでいる地域の学校に行くのが当たり前でした。カナダでも同じで、たとえば視覚に障がいがあって、点字のテキストがある学校が良いとか、聴覚に障がいがあるから、手話が学べる学校に行きたいなど、特別な希望がなければ、近所の子たちと一緒の学校に通います。息子が通っていた小学校には、ストレッチャーに乗って寝たままの状態で授業を受けるお子さんや、人工呼吸器をつけたお友達もいました。ところが日本では、障がいのある子どもとない子どもが別々の場所で学ぶということが合法化されていたので、私が子どもの頃も、障害のある子どもは同じ教室にいないのが当然とされていました。最初から障がいのあるなしでふるいにかけられていて、就職の際も“あなたはこっちに行きなさい”と勝手に決められてしまう。見てわかる障がいがあって、一般採用で普通に試験を受けて就職している人は、日本では今でもすごく少ないと言われています。そういう風に分離されているから、いざ障がいがある人を目の前にするとどうしていいかわからない。みなさんは別に差別しようとしているんじゃなくて、障がいのある人との間にある“ぎこちない壁”のなくし方がわからないのが現状なのだと思います

豊かな土壌で人は育つ

マセソン氏は、パラリンピアンとしての自分の経験を、多様性の理解、インクルーシブな社会の実現といった文脈で発信し続けていたところ、障がいがある人の雇用、D&Iの推進に関してアドバイスが欲しいという企業からたびたび声がかかるようになった。コンサルティングなどで企業と携わる中で見えてきたのは、“方法”の問題だったという。

栄養分の少ない痩せた土地で野菜を育てるのは難しい(絵:原田歩「枯れた土地」)

 

多様な人材を受け入れましょうという方向性は間違ってはいないんですが、問題はやり方なんですね。受け入れる土壌が不十分なまま多様な人材確保をするのは、痩せた土地で野菜を育てようとしているようなもの。いくら新しい苗を植えても、種を蒔いても栄養分の少ない土壌では野菜は育ちません。野菜を多様な人材に置き換えてもらえば分かると思うのですが、このままだと結局育たないし、根付かないのです

多様な人材は、知らない国のマーケットに並ぶ、どう食べて良いかわからない野菜にもたとえることができるのだという。食べ方がわからなければ、手を出すことができず、みんな素通りしてしまいがち。たとえ買ってみたとしても、いつの間にか冷蔵庫で腐っていたなんてことになりかねない。

野菜同様に、人にもそれぞれ個性を活かせる活躍の場がある(絵:原田歩「活かす」)

 

「普段食べ慣れているトマトやレタスなどの野菜でさえ、サラダにするとかサンドウィッチに挟むとか、同じような食べ方しかしない人もいるのではないでしょうか。これも多様な人材に置き換えれば、障がいがある人には、こういう仕事しかさせられない。もっと言えば、子育て中の女性には、残業はさせられないね、遅くまで働かなくていいけれども昇進もない仕事にしようとか。周囲が勝手に決めているケースが少なくないです。けれども、多様な人たちが本当に肥えた土壌で育てば、一番輝ける状態で成熟できます。トマトひとつ取ってもスープにもできるしゼリーを作っても美味しいかもしれないと、いろいろに活用ができるんです。障がいがあるから、女性だからというのではなく、その人がやりたい仕事はなんなのか。それをするためにはどうしたらいいのかをみんなで考える。多様な人材を活かせる土壌をいかに整えるかが一番大事な問題だと私は思います

ビジネス分野における障害者の社会進出を、ビジネスリーダーが軸となって推進する“The Valuable 500(V500)”という世界的な運動がある。2019年1月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、アイルランド出身の社会起業家キャロライン・ケイシー氏の呼びかけで発足した。ただ障がいのある人の雇用推進だけではなく、障害のある顧客を対象にした製品・サービスの開発など、経済面に着目をした取り組みになっているのが特徴。日本でも53の企業が加入しており、マセソン氏はV500の日本・アジア太平洋アドバイザーにも就任している。

「V500は、世界の有力なビジネスリーダー達を巻き込み、改革を推進しています。企業における障害のインクルージョンを進め、社会を変えようとしています。障がいが理由で諦めなくて良い社会、誰も取り残されず、それぞれがいきがいを持って暮らせる社会を築くためです。障がいのある人たちの視点や考え方をうまくプロダクトデザインに落とし込んでいくと、製品やサービスがユニバーサル化されて、みんなのために便利になります。これからは障がいの有無に限らず、多様な人、今まで戦力外と見なされていた人たちにいかにチャンスを与えられるか、多様な人材がどれだけ意思決定の場に入り込んでいけるかが、企業の生き残りが掛かってくるのではないかと思います

D&Iには、正解がない

“国際パラリンピック委員会公認教材『I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)』日本版は、パラリンピックを題材に共生社会への気づきを子どもたちに促す教材として、パラリンピックの歴史や競技について学ぶだけでなく、障がい理解や人権尊重などについての理解を深めることも目的として制作された。日本版の制作にはマセソン氏もプロジェクトマネージャーとして関わっている。

私は子どもたちの前で講演することも多かったのですが、あるとき同じ話をしているのに講演が終わってからの先生のまとめ方ひとつで、子どもたちの感想文の傾向が変わってくることに気づきました。“車椅子の人は可哀想だから、これからは助けてあげようと思った”という障害に注目している感想があるかと思うと、“やりたいことを成し遂げるために、こんなことがあったから頑張れたんだ”と違う視点で見ていたり捉え方が異なります。子どもたちの前で話すのは本当に楽しくて好きなんですけれども、それよりもまず、先生たち大人にインクルーシブなマインドを醸成したいと思いました

『I’mPOSSIBLE』には、小学生版・中高生版があり、座学や実技など、さまざまな側面からパラリンピックムーブメントのビジョンについて学ぶことができる。授業の中で対話を促す発問には、正解がないことが大きな特徴だ。

多様性を受け入れる、いろいろ違いのある人たち全員が幸せになれる答えなんて絶対にないんです。みんながそれぞれ意見を言って、他人の話も聞いた上で、みんなが納得できる最大公約数を探しましょうというのが、『I’mPOSSIBLE』で伝えたいことです。先生たちには“正解はどれですか?”って必ず訊かれるんですが、きっと正しい答えを出すための教育に慣れているので、正解がないと落ち着かないんでしょうね。一方で、『I’mPOSSIBLE』の授業では、普段あまり発言しない生徒が発言するという話を聞いたこともあります。何を言っても間違いじゃない、すべてウェルカムだと言われると安心して発言できるようになるのでしょう。そんな空気ができあがると、その他の授業にも良い影響が出るのだそうです」

『I’mPOSSIBLE』で学んだ子どもたちは、きっとこれからのインクルーシブな社会を作り担う、貴重な人材となってくれるに違いない。

2022年9月千葉市で開催された“パラスポーツフェスタ千葉”を視察に訪れたマセソン美季氏

 

「障がい当事者という属性だけで、戦力外とみなされて、何かをするチャンスが勝手に奪われている気がします。それが続くと自己肯定感も削られていく感覚になります。私も車椅子生活になった当初は周囲の人に申し訳ないというか、迷惑をかけられないと縮こまって生きていました。すると社会の見え方が変わってくるんですね。それまでは便利な社会だと思っていたけれど、それはマジョリティにとっての便利さだった。車椅子に乗っているだけでどうやって生きるかまで決められたような窮屈さがありました」

その後海外に出ることによって視界が開け、自由を取り戻したマセソン氏。「日本に居続けたら、こんな風にズケズケとものを言えなかったかもしれない」と笑うが、その笑顔にはいろいろあったであろう苦労の影は見当たらない。

私は、障がいを持ってから、他人から勝手に枠に嵌められたような感じがしてとても嫌でした。でもそのとき、道がないなら自分で作れば良いんだ。私がブルドーザーのように道を切り開けば、後から人がついてこられると思ったんです。そして最近目指すのは、土地を耕す耕うん機です。良い野菜が肥えた土地で育つように、良い人材が育つ環境を整えたいと思います。若い読者の皆さんに伝えたいのは、他人の評価で自分を過小評価してほしくないということ。あなたの魅力はあなたが一番よく分かっているんだから、人の意見に左右されず、小さく縮こまらずに自分を活かす道を探っていっていただきたいですね

 

(まとめ)

講演活動などを通していろいろな人に話をする機会の多いマセソン氏は、あるとき“結局みんな一緒なんですね”と言われ、“よかった、わかってもらえた”と感じたのだそう。とにかく私たちは、障がいのある人、自分とは違う人を、自分たちマジョリティの輪の中に入れようとしがちだが、それは違うのだろう。当たり前にコミュニケーションをして、まずお互いのしたいこと、目指すことを伝え合い、共有することが大事なのだ。

 

【取材・文:定家励子(株式会社imago)】

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