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生きる場としてのポテンシャルの高い山水郷。 地方から日本は変わっていく

株式会社日本総合研究所 創発戦略センター エクスパート 井上岳一

コロナ禍で地方移住への動きが強まったと言われる。仕事は同じで住む場所だけを変えるケースも多いが、さらに一歩踏み込んで、過疎の進んだ地域に移住し、魅力を掘り起こして“回復”させる動きも目立つ。先ごろそんな活動を紹介する展覧会が開催された。主催した日本総合研究所・エクスパートの井上岳一氏にお話をうかがう。

東日本大震災で見直された共同体の力

その展覧会は「山水郷のデザイン2 3つのコンヴィヴィアリティ」という。“山水郷”とは、自然の恵みが豊かにあって、人が長く暮らしてきた地域を意味する言葉で、井上岳一氏が著書『日本列島回復論』(新潮社)で提示した造語だ。

「自然や土地、すなわち山水と深く関わりながら暮らしと仕事が営まれてきた場所(郷)の、生きる場としてのポテンシャルの高さに光を当てたかったんです。生きる場としてのポテンシャルが高いからこそ、変化の余地も大きく、実際に創造的な変化が生まれている。次の社会のモデルになるような取り組みはこういう場所から始まるのではないか。そう直感し、始まりの場所にはふさわしい呼び名をと思って、山水郷と名付けました

井上氏が“山水郷”に注目したのには、ひとつのきっかけがあったのだという。2011年の東日本大震災から1ヵ月ほど過ぎた頃、井上氏はボランティアとして宮城県石巻市に向かった。市郡部の海岸沿いの道路は津波に流されて寸断され、湾ごとに点在する小さな集落は支援の手が届かない孤立集落となっていたのだ。支援物資を届けるためにひとつの集落を訪ねたところ、共同体の力というものに驚かされたのだそうだ。

「停電はしていましたが、漁船に積んでいた発電機を利用して電気は使えていましたし、ガスは元々プロパンなので、コンロにボンベを直結すれば問題なく使える。裏は杉山なので、いざとなれば薪はいくらでもありますから煮炊きにもまったく困りません。被災地で一番困るトイレと水も、山と海に囲まれた場所なので自然のトイレで用は足りるし、水も裏山の沢から引いて作ったお手製の簡易水道があって使いたい放題。養殖用のいけすを風呂桶にして簡易な小屋をかけ、脱衣場を備えた簡易浴場までつくられていて驚きました。ボランティアもおらず支援物資もないけれども、流されなかった家に残った食べ物を分け合い、皆で助け合いながら生活していたのです」

それこそまさに“山水郷”のポテンシャル、“共同体の力”というものを井上氏は目にしたのだった。昔からそこにともに住んできた人たちゆえの結束力の強さと助け合いの力の大きさ。集落全体が一つの家族と化しているかのようだったそうだ。

「三陸の孤立集落には共同体の力に加え、豊かな山水の恵みとそれを生かす力があったんです。それらが組み合わされることによって、お金のあるなしに関係なく、人が生きられる世界が作りあげられていました。都市ではなく田舎でこそ実現できる世界、これこそ究極のセーフティネットです」

文化を売ることで地域は元気になる

井上氏は、2012年に厚生労働省の仕事で生活困窮者対策の立案に関わったとき、日本の格差や貧困の実態を知って愕然としたという。誰も置き去りにしない“SDGs”どころか、普通に生きていても何かあれば簡単に転げ落ちてしまうという現実。今の日本を覆う漠然とした不安感、閉塞感が、新しいことに挑戦するという気概さえ奪っている。誰もが若々しくイノベーティブであるには、安心の基盤が必要だ。山水郷の恵みがあれば、とにもかくにも人は生きていける。山水郷から新しい物語が始まると井上氏は考えたのだった。

冒頭にも述べた展覧会「山水郷のデザイン2 3つのコンヴィヴィアリティ」は、井上氏の著書を読んだ藤崎圭一郎東京藝術大学教授が公益財団法人日本デザイン振興会に「山水郷をテーマに展覧会をしよう」と提案してくれたことをきっかけに実現したものだ。ちょうど日本デザイン振興会には、地域の文脈でデザインの取り組みを紹介したいというニーズがあった。そこで藤崎氏と井上氏を共同ディレクターに迎えて開催することになったもので、昨年4月の開催に続いて今回は第2回目。うなぎの寝床(地域:九州ちくご)、真鶴出版(同:神奈川県真鶴町)、ドット道東(同:北海道道東地区)の三者と共に、コンヴィヴィアリティ(思想家イヴァン・イリイチが提唱した「自立共生」という考え方)をテーマにそれぞれの地域と活動を紹介する。では、出展した3つの団体の活動について解説していただこう。

■うなぎの寝床

うなぎの寝床は2012年7月に活動をはじめた、福岡県八女市を拠点に活動する地域文化商社。地域で発信できる拠点としてのお店、都市部での店舗展開、宿、本屋、ツーリズム、企画、制作、ニョロニョロと蠢きながら活動中。

「ちくご地域の農林水産業者や中小企業をスキルアップして雇用創出につなげることを目指した「九州ちくご元気計画」という福岡県主導のプロジェクトがあって、そこに代表の白水さんがアサインされて、物作りをする企業とデザイナーのマッチングなどを行っていました。その結果としてものができてゆくのですが、できたものを売る場所がありませんでした。そこで、それらを売るためのお店を作ろうということで白水さんが立ち上げたのが“うなぎの寝床”で、たまたま店舗が細長い家だったので、こういう屋号になりました。

物作りに関して九州は、たとえば焼き物なら唐津焼とか、有名なものはありますが、それ以外だと関東など遠くからは見えません。そこで、うなぎの寝床の方たちは九州中のいろいろな物作りの職人と会って、その製品をお店で販売することを通じて、各地の文化を伝えてゆきます。九州の豊かな自然と伝統的な文化の中で培われたものが、これだけたくさんあるんですと。九州の物作りはこういうものですということを発信しています

展示でひときわ目を引くのが“MONPE(もんぺ)”だ。筑後地方に伝わる伝統的な綿織物「久留米絣」で作られているが、模様や形は街着としても十分におしゃれな現代風。全国的にファンを増やしている。

「店でMONPEの博覧会というものを開催したらすごくウケて、今の人にも受け入れられるんだと気付いたらしいんですね。そこで現代風にアレンジしたら、ヒット商品になり、今一番の売り上げを誇っています。この丸の内の展示でも、銀座の散歩のついでに寄って下さった女性が“ちょっと前に福岡に行った時にMONPEを見つけてもう3着も買っちゃった”と言ってました。これを持っている人たちは、一度穿くとおしゃれな上に着やすいので手放せなくなり、さらに買ってしまうというケースが多いようです」

“うなぎの寝床”を経営する白水さんは大学で建築を学んでいたが、卒業とリーマンショックが重なり、建築の世界に対する興味を失い、ニートをしていたのだという。たまたまデザインを手がけた食品のパッケージが注目され、前述のちくご元気計画のスタッフに抜擢され“うなぎの寝床”を立ち上げることになったのだそうだ。

「“うなぎの寝床”は今年10年目になりますが、経営も安定していて今では社員がアルバイトも含めると50人もいます。彼らは元々この地域に存在していた物作りの文化に出会って、デザインの力を使って現代に甦らせました。地域文化商社を名乗っているのは、扱うのは“もの”だけじゃなくて文化だということ。地域の文化としての果実を売ることによって地域を元気にしていこうとする意欲を感じます

“負の遺産”が編集力によって宝物に変化した

“山水郷のデザイン”展の第2弾を開催するに当たって藤崎氏と井上氏は、“編集力”に着目したそうだ。ただその地域で物を作るだけでは、多くの人に届かないし遠くまで広がっていかない。そこでものを言うのが編集力だというのだ。編集と言えば思い浮かぶのは“出版”。そこで次に、直球で編集を謳っている団体をご紹介しよう。

 

■真鶴出版

「泊まれる出版社」をコンセプトに、書籍の制作やウェブでの情報発信をしながら、真鶴を訪れた人を受け入れる宿泊施設兼ショップも運営する。

「真鶴は神奈川県で唯一の過疎指定町です。周囲には熱海や湯河原などといった温泉地がありますが、真鶴には温泉が出ないので、素通りされてしまう。泊まる場所と言っても釣り宿くらいしかない、人口約7000人の小さな町でした。そこに2015年当時20代後半のご夫婦が引っ越してきて“泊まれる出版社”をコンセプトに真鶴出版を始めました。編集・出版を担当する夫の川口さんが真鶴の情報を発信、それによって興味を持つ人が増えれば、妻の來住さんが運営する宿があるので訪れてもらい、泊まってもらえるようになる。泊まってくれた方には、1~2時間一緒に町を案内する“まち歩き”を特典としてつけました。まち歩きをしているといろいろな地域の人に出会います。最後は酒屋があって昼からそこで飲めるので、仕事を終えた漁師さんと飲んだりすると、1日いるだけで真鶴が故郷みたいな気分になるんです」

真鶴には、1992年に制定された“美の基準”という“まちづくり条例”がある。それが昔ながらの美しい街並みの景観を守った一方で、新しい開発を呼び込む際の障壁になり、過疎の原因を作ったと非難される結果となった。真鶴出版が引っ越してきて最初に取り上げたのがこの「美の基準」だったそうだ。

「スタジオ・ジブリの1994年公開の映画に『平成狸合戦ぽんぽこ』があります。平和に暮らしていた狸と、その土地を奪おうとする開発者たちの戦いを描いたアニメーション映画ですが、真鶴の“美の基準”もちょうど同じ時期のものです。狸達は開発を守れなかったけれど、真鶴の町民は守った。それがあるから今、つつましくもラブリーな町があるわけです。「美の基準」は、住民が開発から町を守ったという意味で画期的なものでした。そのことを若い真鶴出版のお二人が発信し始めたことで、真鶴に注目が集まるようになり、住民自身も見る目が変わっていったのです。それまでは負の遺産だと思われていたものが、若い世代に再評価されることで宝物になったのです

今、音楽業界でも80~90年代の音楽がリバイバルしている。日本のヒットソングが海外でカバーされ逆輸入されるようなこともあり、古いものを見直す動きはジャンルを問わずあるようだ。

「音楽のサブスクや、見放題の動画配信サイトなどがあるので、今の若い人にとってはどんな時代の音楽や映画も、生まれた年代に関係なくフラットに聞いたり見たりできます。若い世代は歴史的なものとして見るというより、単純に自分が良いと思うものは良いと言うことができる。一人ひとりが良いと思うものを集積していった方が多様で面白いということになっています。真鶴出版はそういう意味でも若い男女に人気があって、この展覧会にも“あっ、真鶴出版だ!”と言って入って来てくださる若い方、特に女性が多くいらっしゃいます。上の世代は古くて不便でボロい町と思っていた真鶴が、そういう若い世代には魅力的な町に映っています。今、大きく価値観が変わってきているのを感じますね」

ネットを駆使して50人でガイドブック作り

最後は、北海道から。こちらも雑誌を発行しているソーシャルベンチャーだ。

 

■ドット道東

北海道の東側・道東地域を拠点に活動するソーシャルベンチャー。自費出版の道東のアンオフィシャルガイドブック「.doto(ドットドートー)」は自社流通のみで発行部数1万部、2020年11月地域コンテンツ大賞にて「地方創生部門最優秀賞(内閣府地方創生推進事務局長賞))」を受賞。

「道東という言葉は、道外にいると天気予報ぐらいでしか耳にすることがないかもしれませんね。北海道の東半分で九州と同じぐらいの面積ですが、九州は1200万の人口に対して、道東には90万人しかいません。情報は、東京か札幌経由で入ってくるもので、自分たちから発信するという契機がありませんでした。そんな場所に“ドット道東”を作ったのは、千葉で自衛隊の職員として働いていた当時20代の中西さんです。北見出身の中西さんは、東京で暮らしてみたいと思って自衛隊に入るのですが、東日本大震災をきっかけに思うところがあって自衛隊を辞めて地元の北見に帰郷し、たまたま出会ったデザイン事務所に就職します。そうして北見で暮らす中で、自分でローカルメディアを立ち上げるのですが、見渡してみると、釧路や十勝にも同じような活動をしている人がいる。でも、面積が広すぎて繋がっていないことに気付いた。点在しているみんなを繋げたら面白くなるんじゃないか、点を結びつけて道東を盛り上げていこうと作ったのがこの“ドット道東”だったんです

“ドット道東”は、クラウドファンディングでアンオフィシャルガイドブック「.doto(ドットドートー)」を発行する。なぜアンオフィシャルかというと、あくまでも自分達が欲しい情報、発信したい情報だけで構成したからだ。そこには、東京の目線で切り取った情報しかない「オフィシャル」なガイドブックに対する抵抗心もあった。

クラウドファンディングのリターンに“雑誌の編集権”をつけたところ50人もの応募があったという。みんな住んでいる地域はバラバラだ。しかし、北海道は広いから元々みんなと距離が離れていることが前提のようなところがあるので、あんまりどこに住んでいるかは関係ない。ネットを駆使して距離の制約を軽々と乗り越え、それまでは会ったことのない50人で雑誌をつくってしまえるのがドット道東の凄さ。50人が編集作業に参加した結果、実に多様性に富んだ豊かな内容のガイドブックができた。

「この本の販売ルートは基本的に地元の書店と通販、それにガイドブックに取り上げたお店だけ。大手の流通はあえて使っていませんが1万部も売り上げました。面白いのは、価格が1500円のところ通販では送料が1000円もかかってしまって割高なので、そこを逆手に取って2冊入れてあげて誰かにプレゼントしてもいいし、売っても良いとした点。そうやって繋がりがどんどん広がっていく仕掛けをつくったことで1万部も売れた。1万部も売れると、その成功を見た他の団体や自治体から、“うちの町の冊子も作ってほしい”などという依頼が飛び込んでくるんです。そうやって出版・編集機能が仕事になっていくのですが、今では自治体ブランディングのような仕事も手掛けていて、それまで札幌や東京といった都市の広告代理店が取っていたような仕事を今は彼らが取るようになっています。すると、クリエイティブな仕事をするには東京にいかなければいけないと思っていた人も、地元で仕事ができるようになります。このように編集やクリエイティブの仕事が地域にあるというのは、とても重要なことなんです。編集的視点というのは地域を盛り上げるためには絶対に必要で、編集者的視点をもった料理人でも、映像の人でもいいんですが、そういう人たちが地域に入っていくととても変わっていきます。それは事実としてあるんです」

クリエイティブを生業にしている人の中には、東京では今本当のクリエイティブができないと、閉塞感を抱いている人も多いのだそうだ。井上氏が関わっている企業でも、新規事業を募集すると必ずと言っていいほど、地方で何かやりたいという声が上がるという。

「これまで企業は、移動手段がないから車を作るとか、炭だけでは不便だからガスを作って供給するとか、さまざまな課題を解決することで成長してきました。ただ、今はそうやって物を売れば解決するというわけにはいかない課題、人口減少や高齢化の問題などが顕在化しています。それらの課題を日本全国のマクロの視点で見ると、あまりに課題が大きすぎて手のつけようがありません。何かを解決するのが不可能のように思えますが、課題を小さく区分けしていくと解決の糸口が見えてくるようなことがあるんです。ですから、まず身の回りの小さな社会で課題解決を試してみると、誰かの役になっているという実感が持てますね。地域でやれば、それが働くモチベーションにも繋がりますから、みんなにとってハッピーな結果になる。自分の仕事が誰をハッピーにするのか分からない人たちが、今ローカルに関心を向けてくれて、地方に自分の関わる余白を見つけてくれています。いきなり移住しなくても、ドット道東のようにネットで繋がりながらでもいいので、何らかの活動をして地方と繋がって行くことで次の自分に行くための方向性を得るきっかけになるのではないかと思います」

 

(まとめ)

私は、以前真鶴出版が発行した『やさしいひもの』という本を購入したことがある。この本には“ひもの引換券”なるものがついていて、これを持って真鶴のひもの店に行くとひものがもらえるのだそう。恥ずかしながらずっと忘れていて、今回井上氏にお話しを伺っているうちに思い出した次第。近いうちに真鶴を訪れ、引き換えてもらおうと思う。こうして、人が繋がっていくことができれば、きっと未来は変えられるはずだ。

 

【取材・文:定家励子(株式会社imago)】

【写真:吉永和久】

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