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ブラインドサッカーの魅力は プレイの面白さが人を魅了し 社会に良い価値を還流していくこと

日本ブラインドサッカー協会 専務理事・事務局長 松崎英吾

 東京で開催予定の世界的スポーツ大会。それを受けて障がい者スポーツへの関心が高まっている。視覚に障がいがある人によるサッカー競技「ブラインドサッカー」もそのひとつ。日本ブラインドサッカー協会専務理事・事務局長として業界を牽引している松崎英吾さんにその魅力と、ブラサカに賭ける熱い想いを語っていただいた。

ブラインドサッカー合宿への参加は障がいのある人との出会い直しだった

 松崎英吾さんがブラインドサッカーに出会ったのは、大学3年生の時。たまたまブラインドサッカーという競技があることを知り、興味を持ったのだという。夏休みに奈良で合宿があるというので、参加させてもらうことにした。

「集合場所は奈良駅だったんですが、着いた途端に自分はどうしたらいいかまるでわかっていないことに気づきました。視覚障がい者の方がスタッフの肩に手を置き、導かれながら歩いているのを見て、自分は何もできないことに居心地の悪さを感じ、すぐに帰りたくなってしまいました」

 松崎さんが障がい者と出会ったのは、このときが初めてではない。小学生の頃、背の低い順に並ぶと前の方だった松崎さんは、障がい児学級の児童と手を繋いで行動することが多かったのだそうだ。遠足に行ったときも最初は手を繋いでいたものの、行った先ではその子から離れ、絶対に遊ぼうとはしなかったことを覚えている。

「障がい児と手を繋ぐことは、自分の背が低いことへのコンプレックスに結びつきます。そういう嫌なことに結びつけられて出会ったので、障がいのある人とはできれば距離を置きたいと思っていた。そうして大学三年生まで生きてきたんです。だから、ブラインドサッカーの合宿に参加したことは、僕にとって障がいのある人との“出会い直し”だったんではないかと思っています」

 ブラインドサッカーは、中に金属の粒が入った転がるとシャカシャカと音のする特殊なボールを使い、フィールドプレーヤーはアイマスクをして、ボールの音や選手同士のかけ声を頼りに行うサッカーだ。目が見えない状態でボールの位置を的確に掴み、仲間にパスして、キーパーに阻まれることなくゴールに入れることなど、果たしてできるのだろうか。

「その合宿で最初に会った方に、パス交換しようよと誘われました。それでアイマスクをしてピッチに出てみたんです。すると、僕には彼の声とボールの音が必要で、彼もどこにパスするかを判断するために僕の声が必要。目が見えていたらなんてことのないパスという行為が、非常に意味のあるものになりました。そこにあったのは、障がいのあるなしではなく、ただ“周囲が見えない”という状況だけ。こんな出会い方もあるんだなと思いました

 このときの松崎さんのように、私たちは障がいがある人を目の前にすると、どうしていいかわからないことが多いのではないだろうか。それは、出会いの機会がなかなかないことも理由のひとつだろう。

「最近、障がいがある方との共生社会を作ろうというスローガンが掲げられることが多いですが、みんなで一緒に助けよう、手伝ってあげようという理屈や知識の押しつけでは、上手くいかないのではないでしょうか。僕がブラサカの合宿で体験したように、お互いの存在を感じながら何かをするという経験が、今の日本には欠けているように思います」

ブラインドサッカーを盛り上げるため周囲に示した覚悟とは?

 松崎さんは、ブラインドサッカーの合宿に参加することによって、障がいのある人に対する見方が変わったという。どのように向き合えば良いのか、無理をしなくていい、こうしなければならないということはないということがわかった松崎さんは、競技自体にも魅了され、協会の手伝いをするようになり、ブラサカに深入りしていった。

「当時、コアな活動メンバーは関西にいました。すこし距離がある関東にいる僕は、ある意味言いたいことが言える立場だったんですね。毎週のように練習後の飲み会などで仲間と話していると、こうしたらもっと盛り上がるんじゃないかとか、全国大会だけじゃなくて世界の公式戦も開催してみたいとか夢は大きく広がります。でも、理事会で提案してもだいたい却下されました」

 なぜ、却下されるのか。せっかく熱意を持って業界をもり立てようとしている人が現れたのだから、耳を傾けても良いのではないかと思う。

「まず言われたのは、僕はよそ者だということなんですね。家族に障がいがある人がいるわけではない。福祉の仕事に携わっているわけでもない。君みたいな人は面白そうと言って入ってきて生意気を言ったりするけれども、数年たったら飽きて出ていってしまうんだよねと。みんな個人的に話していると『いいね、その案』って言ってくれますが、会議に出すと全員反対。そんなことばかりでした」

 家族に障がいのある人がいたり、福祉の仕事に関わっていれば、活動に参加する理由はある。しかし、全然関係のない自分は、みんなから線引きされるように感じたのだという。次第に自分に問われているのは、「覚悟」なのではないかと考えた松崎さんは大きな決意をした。

「それは今でも鮮明に覚えています。2007年10月5日に理事会がありました。パワーポイントなんかを使うとそれだけでカッコつけてると警戒されてしまうので、スケッチブックを使って30枚ぐらいのプレゼン資料を作り、自分がブラサカでやっていきたいことを説明しました。それを聞いた協会役員から最後に『で、それをやり切れるのか』といつものように問われたので、『はい、会社を辞めてブラサカだけに専念する準備はできています』と言ったんです」

 その頃松崎さんは、大学を卒業して一般企業で働いていた。結婚して子供もいたが、覚悟を決め家族を説得しブラインドサッカーに身を投じる決意を固めたのだった。

「その結果『そこまで言うんだったらやったらええ』と、一番遠いところにいていつも反対していた人が真っ先に賛成の声を上げ、握手してくれたのが嬉しかったですね」

ブラインドサッカー体験は障がいのある方への理解を深め相手を思いやることに繋がる

 障がい者スポーツというと、みなさんはどんなイメージをお持ちだろうか。今でこそD&Iなどと盛んに言われるようになり、障がいがある人ない人が共生していく社会の重要性は共通の認識になりつつある。しかし、松崎さんが日本ブラインドサッカー協会の専従職員となった当時、事情はだいぶ違った。

「その頃の障がい者スポーツは所轄官庁もまだなくて、役所に行ってもたらい回しでした。障がいのある人の自立とか権利の獲得ということの優先順位が高かったんです。まだ確保できていない障がいがある人の在り方をどうやって掴んでいくか。それを考えるのが大事だという発想が強かったですね」

 松崎さんはそこから一歩先に踏み込んで、公共の補助金などに全面的に頼らなくても、ブラインドサッカーの選手が経済的な支えを得て競技に打ち込むことができ、ブラサカがもっと盛り上がるよう事業の拡大に取り組み始めた。しかし、なかなか思ったような成果が出ない。

「民間企業に協賛をお願いしようと思ってアポを取ろうとしましたが、200社に連絡しても会ってくれたのはほんの数社。僕が脱サラして専業でやっていると言うと、『え? こんなことのために辞めちゃったの?』というような反応もしばしばでした」

 小中学校でイベントをやったり、企業でブラインドサッカーを体験してもらったり、ブラインドサッカーの理解・普及に努めようとしたが、その場限りで終わってしまうことも多かったのだという。

「そんな中で気づいたのは、自分たちはこうしたいああしたいばかりで、学校や企業にどんな課題があるか、わからなかったということです。それがわかれば、その課題に対して我々のプログラムを使って解決できますよという提案ができるはずだと考えました」

 そのように目線を変えることで、ブラインドサッカーを単にアイマスクをして行うサッカーの体験ではなく、障がいがある方への理解を深めることや、相手の立場に立って考え、相手を思いやることにつなげていき、徐々にブラインドサッカーの認知は広まっていった。

提供:日本ブラインドサッカー協会

障がいのあるなしにかかわらずみんなが混ざり合う社会を目指して

提供:日本ブラインドサッカー協会/鰐部春雄

 

 日本ブラインドサッカー協会には、明文化された「ビジョン」と「ミッション」がある。会議のたびに何か提案しても却下されることが多い中、協会も企業などと同様「戦略」を持つことが重要なのでないかと感じた松崎さんは、事務局長になった当時、ビジョン作り、ミッション作りに取り掛かった。選手や理事はもちろん、ボランティアやマスコミ関係者など、ブラサカに関わりのある人が集まってワークショップを行いながらできあがったのが以下のものだ。

【ビジョン】

ブラインドサッカーを通じて、視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会を実現すること

【ミッション】

ブラインドサッカーに携わるものが障害の有無にかかわらず、生きがいを持って生きることに寄与すること

 ブラインドサッカーはれっきとしたスポーツ競技なのに、勝ち負けのことには一切触れられていない。そして、今よく言われる「共生」ではなく「混ざり合う」という言葉が使われていることが印象的だ。

「当時、小中学校や企業でブラサカ体験・研修をやっていると、そんなところにリソースを使っているから勝てないんだと言われたり、健常者向けの体験などそもそもNGだという雰囲気がありました。でも、選手達の話をよく聞いてみると、彼らはブラインドサッカーに取り組むことによって普段会う機会がない、家族以外の人に出会えたり、同世代の若い仲間と知り合って飲みに行けたりすることを大事に思っていたんです。飲みながら自分の人生とか仕事とかについて悩み相談ができたりする、第三の居場所にもなっていたんです」

 障がいがある人は社会から隔離される傾向にあり、いろいろな人との出会いが制限されている一方、障がいがない人は障がいがある人と出会う機会が少ない。結果、お互いに理解することが難しくなっている。

「ブラインドサッカーの選手たちを見ていると、選手たちは別に誰かに支えてもらいたいと思ってそこにいるわけではありません。でも、その場にいると選手自身が誰かのために、何かのために役立っているという実感があるんです。逆に、何かお手伝いをしようと思って協会の活動に加わった健常者も、そこに居場所を与えられ、自己肯定感を得ることができている。一方的に視覚障害者を支えようではなくて、まさに『混ざり合う』という言葉に収斂されているので、あえて『共生』するではなく『混ざり合う』という言葉を使ったんです」

勝つことは目的ではなく人生を豊かにするための手段だ

 2014年渋谷でブラインドサッカーの世界選手権が行われた。その大会は、障がい者スポーツとしては異例の有料開催となったが、多くの観客が足を運んでくれて盛り上がり、成功を収めることができた。

「チケットの有料化には、反対も多くありました。売れるわけがないからやめた方が良いと。でも国の助成金にだけ頼ったり、企業や学校へのお願い営業スタイルでは、継続的な発展は難しいと実感していました。でも、ビジョンとミッションをつくる際のワークショップ等で、ブラインドサッカーにはもっと可能性があることがわかったし、だからこそもっとたくさんの人に価値を感じてもらえると思いました。有料化を始め、資金調達する方法に取り組み、それをひとつひとつ実現してきたということです」

 まもなく東京で開催される世界的なスポーツ大会。日本のブラインドサッカーチームの勝算はあるのだろうか。

「チームが勝つことによってメディアが取り上げてくれて、認知度が高まる。それがスポンサーなどを呼び込み、さらに強化につながる。それが勝つことの意義だという人がいます。ただ、僕は代表チームはお神輿のような存在だと思っています。代表チームがお神輿として輝いてくれればくれるほど、神輿の担ぎ手もわくわくするし、担ぎ手を担ってくれる。その裾野が大きくなっていくことが、このスポーツの継続する力を高めるのだと思います。『ただ勝てばいい』と思っているわけではありません。勝つことは目的ではなく、むしろ手段です。ブラインドサッカーに関わることによって、視覚障がい者はフィールドを出ても人生を豊かにしていくことができる。それこそが障がい者スポーツの価値ではないでしょうか

 松崎さんの熱弁を聞いていると、私自身ブラインドサッカーに対する興味が俄然湧いてきてしまった。近いうちに試合を見に行きたいと思う。「ブラインドサッカーは、そのプレーの面白さが選手だけの中で完結せず、彼らの人生はもちろん、遠いところにいる人の人生にまで影響を及ぼすスポーツ」だという松崎さんの言葉が腑に落ちた瞬間だった。

【取材・文:定家励子(imago)】

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